翻訳と辞書
Words near each other
・ ヘンリー・ステュアート
・ ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿)
・ ヘンリー・ストメル
・ ヘンリー・ストレイチー
・ ヘンリー・ストレイチー (初代準男爵)
・ ヘンリー・ストレイチー (探検家)
・ ヘンリー・ストレイチー (画家)
・ ヘンリー・ストンメル
・ ヘンリー・ストール
・ ヘンリー・スペンサー
ヘンリー・スペンサー (初代サンダーランド伯)
・ ヘンリー・スペンサー・アシュビー
・ ヘンリー・スペンサー・アッシュビー
・ ヘンリー・スペンサー・パーマー
・ ヘンリー・スレッサー
・ ヘンリー・スローカム
・ ヘンリー・スヴォボダ
・ ヘンリー・セシル
・ ヘンリー・セシル (初代エクセター侯爵)
・ ヘンリー・セジュード


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヘンリー・スペンサー (初代サンダーランド伯) : ウィキペディア日本語版
ヘンリー・スペンサー (初代サンダーランド伯)

初代サンダーランド伯ヘンリー・スペンサー(Henry Spencer, 1st Earl of Sunderland, 1620年11月23日 - 1643年9月20日)は、清教徒革命イングランド内戦)期のイングランドの貴族。第2代スペンサー男爵ウィリアム・スペンサーとサウザンプトン伯ヘンリー・ライアススリーの娘ペネロピの息子。
オックスフォード大学マグダレン・カレッジで学習して1636年8月31日に卒業、同年12月19日に死去した父の後を継いで第3代スペンサー男爵となった。1639年レスター伯ロバート・シドニーの娘ドロシーと結婚、3人の子を儲けた。
1642年にイングランド内戦が始まると当初は議会派だったが、王党派に転向してエッジヒルの戦いに参戦、翌1643年6月8日に3000ポンドを王党派に用立てた功績でチャールズ1世からサンダーランド伯に叙爵された。同年、グロスター包囲戦第一次ニューベリーの戦いにも参戦したが、9月20日のニューベリーの戦いで議会派の砲撃が直撃、戦死した。幼い息子のロバートは王党派に引き取られ、王政復古後のイングランドで政界に進出していった。
== 子女 ==
# ドロシー(1640年 - 1670年) - ハリファックス侯ジョージ・サヴィルと結婚
# ロバート(1641年 - 1702年)
# ペネロピ(1644年 - 1645年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘンリー・スペンサー (初代サンダーランド伯)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.